ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」
- 作者: ミルトン・フリードマン,村井章子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2008/04/17
- メディア: 単行本
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ミルトン・フリードマンはアメリカの経済学者で、新自由主義・マネタリズムのリーダー格である。
彼の代表的な著作である「資本主義と自由」を読んだので、本稿ではその感想と考えたことを記す。
読後感
アメリカの自由主義者の自由主義者による自由主義者のための社会とはいかなるものかという理想像が描かれている。
しかし70s、80sを通して導入された新自由主義的政策は、当然の帰結として格差をもたらした。その凄まじさは堤未果「貧困大国アメリカ」(岩波新書)などを併せて読むとわかるのではないかと思う。
一般にフリードマンの主張は過激である。そのすべてを受け入れることはできない。蓋し現在の日本でも通用する主張は多くあり、頷ける部分も少なくない。以下、この本で面白かった部分をいくつか抜き出してコメントしておくこととする。
ただしこの試みも、社会批判をフリードマンの言説に仮託しているにすぎないかもしれず、面映い。
面白い部分
- p24.「自分は、あるいは仲間は、政府という手段を使って何ができるか」を考える
- 新自由主義者にとって、政府は手足であり、手段なのだ。
- p27.「文明の偉大な進歩が権力を一手に握る政府の下で生まれたことは、未だかつてない。」
- 革命は周辺から起こる。
- p53.「不平等な富の配分は、政治的自由を守るのに役立ってきた」
- 自由と平等はトレードオフ。
恐らくつづく。